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明日使える中二知識

武士道 - Samurai spirit -

ある学校で、教師の一人に対する不満を理由として長期間の学生ストライキが行われたことがあったが、校長が出した二つの簡単な質問――

「諸君の教授は価値ある人物か。もしそうであれば彼を尊敬して学校に留めておくべきである。彼は弱い人物か。もしそうであれば、倒れそうな者を押すのは男らしくない」

によって解散した。

騒動の発端はその教授の学力不足だったが、それは校長の示した道徳的問題に比べれば小さく無意味なものになった。  

このように、武士道によって養われた感情に訴えることによって、大きな道徳的革新が達成されうるのである。

武士道という言葉は現代では忘れ去られてしまったかもしれない。しかし、その価値観は700年という長きに渡って日本の文化や遺伝子に蓄積されており、現代にも根付いている。

今回は我々の根底にある価値観、武士道について紹介する。

 

概要

武士道の元々は「戦士の掟」、つまり戦士階級における「ノブレス・オブリージュ」だ。

戦闘におけるフェアプレーの精神。この単純な考えの中になんと豊かな道徳の可能性が秘められているのだろうか!

「小さい子を決していじめず、大きな子に背を向けなかったヤツ」

これが武士道である。

 

過去の日本において武士は国民の花だった。そのため民衆の娯楽や教育の題材の多くを武士の物語からとっていた。

百姓は家の囲炉裏を囲んで、義経と忠臣弁慶、勇ましい曾我兄弟の物語をくり返して語り、

番頭や丁稚たちはその日の仕事が終わって、店の雨戸を閉めたあとで、一部屋に集まって信長と秀吉の話を夜がふけるまで語りあった。

こうして武士道は武士だけのものではなく、国民全員が共有する1つの価値観になったのだ。

 

経典はない

武士道には文字に書かれた掟はない。口伝によって受け継がれたものだったり、有名な武士や学者が書いたいくつかの格言によって成り立っている。

 

原則

武士道の体系を、義・勇・仁・礼・信(誠)・名誉・忠義 の7つとすると考えやすく、この順番に解説していく。

これらの項目は儒教の徳目である、仁・義・礼・智・信 にほぼ相当する。

義は自分の中の正義のこと。義は以下のように例えられる。

「義は自分の身の処し方。道理に従い、ためらわず行う決断力である」

「義は人の身体に骨があるようなものである。骨がなければ首も手足も正しく動かせない」

つまり義は、自分が行動する道筋である。

 

義の双子の兄弟に勇がある。

勇気・勇敢のこと。

「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉があるが、これは

「正しいことを認識してそれをしないのは勇気がないことだ」という意味で、肯定的にいうと「勇気とは正しいことをすることだ」となる。

 

勇が高みに達した時、それは仁に近づく。

愛情、寛容、同情、慈悲などのこと。

「もっとも勇敢な者はもっとも優しい者であり、愛のある者は勇敢な者である」という考えからなる。

「武士の情け」とはすなわち、弱者・劣者・敗者に対する思いやりであり、なにも武士の慈悲が他の人々の慈悲と異なっているということではない。これは正義に対する適切な慈悲であり、またその背景には生殺与奪の権を持った慈悲である。

武士の情けの例として、こんな逸話がある。

 

一人の武士が合戦のさなか、一人の敵を追いかけ、ついに組み伏せた。

命を取ろうと敵の兜を取ると、相手はまだヒゲも生えていない若者であった。

武士は組み伏せた手をゆるめ、父のような声で「若い貴公子よ、母の元へ落ちよ。私の刀はあなたの血で染めさせるものではない。」と論した。

しかし若武者は逃げるのを拒み、お互いの名誉のため自分を殺してくれと頼んだ。

再び武士は逃げるよう頼むが若武者は聞こうとしない。そうこうしてるうちに味方の兵が近づく音が聞こえる、仕方なく武士は若武者に手をかけた。

戦が終わり武士は凱旋したが、名誉や声望を望まず武士としての人生を捨て、残りの生涯を巡礼の旅にささげた。

 

この物語の背景には優しさ、憐れみ、愛があり、仁を欠けば武士にとっての名誉さえ美しいものになりえない ということを示している。

 

仁を高めることで他人を尊重する心、謙譲や丁重の心が育まれ、これが礼の根幹となす。

礼儀。または道理を正しく尊重すること。

礼儀とは、単に品の良さが損なわれるのを恐れてなされるものではない、それは貧弱な徳である。本当の礼とは、他人の気持ちを思いやる心のあらわれだからだ。

道理を正しく尊重するとは、社会的地位に対して相応の敬意を払うことを意味する。社会的地位とは単に金銭的な貧富の差のことを言っているのではなく、本来、実際の価値にもとづいた価値を示している。例えば主君の仁に対して、臣下の礼がある。

 

茶の湯の作法は礼儀を1つの学問にまで成長させた。だが、礼儀作法は精神的規律の単なる外衣でしかなく、中核にあるのは相手を思いやる心である。

「他人に挨拶をする時はどのように頭を下げれば心地よいのか」これを考える心が、礼である。

 

ただし、信・誠が無いと礼は茶番になってしまう。

信・誠

誠実、素直なこと。

嘘やごまかし、卑怯なことをしないこととも言える。

武士は、いったん口に出したことは命をかけて守らなければならなかった。

「武士の一言」、武士の言葉が真実であるという十分な保証があった。武士の言葉には重みがあり、その約束は証文なしで結ばれ、かつ履行された。

「武士に二言は無い」つまり武士に二枚舌は無いのである。

 

正直という観念は名誉と不可分に混じり合っている。

名誉

名誉は、武士の信を支えるもので、武士がもっとも強く望んだものだった。

また名誉の裏返しである「恥」を恐れる心だった。この観念こそ武士道の根幹だと考えられる。

この恥の感覚は幼少時に一番早くから教えられる。「笑われるぞ」「恥ずかしくないのか」などは非行を働いた少年の行動を正すための言葉で、少年の心のもっとも敏感な部分だった。

もし名誉や名声が得られるならば、命さえ安価だと考えられた。

 

もっとも名誉なものの1つに「忠義」があった。

忠義

忠義は、主に対する忠誠。

これは武士の名誉の掟である。前述したように忠義は最も名誉なことと考えられていたため、これは主君に対する盲目的な服従ではなく、誇り高い武士の名誉を望む行動だった。

 

儒教では孝(両親へ尽くすこと)を人間の第一の義務としたのに対し、武士道では忠義をその上に置いている。

武士道とは死ぬことと見つけたり

武士道とは死ぬことだ、と武士の奉公とは生命を捨てることだと誤解されやすい。しかし、本来の意図はそうではない。

武士は、臆病だとか卑怯だとかの評判が立てば腹を切らなければならない。それを回避するため、二者選択を選ばなければならない局面では死ぬ確率の高いほうを選べ、ということだった。

たとえば同僚が喧嘩をして、斬られそうになっている。そこに出ていって助太刀すれば、相手に斬られるかもしれない。相手を斬っても、殺人をしてしまった自分は切腹である。

しかし、もし見て見ぬふりをすれば卑怯な行動として切腹を命じられ、武士の面子はつぶれる。それなら相手と刀を交え死ぬほうがいい。同じ死ぬのでも、恥にはならない。名誉は生命よりも重かったのだ。

 

死をものともしない武士道の精神はこう例えられている。

「ヨーロッパ人の好む薔薇が甘美の下に棘を隠し、華美な色彩と濃厚な香気を持ち、しばしば枝上に朽ちるのに対し、桜は、その美の下に刃も毒をも持たず、色は華美でなく、香気は淡く、いさぎよく散る」

風化

1870年に出た廃藩置県、1876年の廃刀令が、武士道の弔鐘を鳴らす合図だった。

武士道は、何らまとまった教義も守るべき公式もないから、現代では消えてしまっているかもしれない。

しかし、その力はこの地上から滅び去ることはないだろう。

 

朝の風の訪れに桜の花びらが散るように、その姿を消してしまっても、何世紀もたち、その習慣が葬られ、その名さえ忘れ去られても、その香りは、「路辺に立ちて眺めれば」はるか彼方の見えない丘から風に漂って来るだろう。